画像_伝記_

相棒との出会い

スティーブ・ジョブズは1955年2月24日に、シリアからの留学生アブダルファン・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンとの間に生まれました。しかし、ジャンダリがムスリムであることから(一説には移民であることが理由とも)、ジョアンの父が難色を示したために二人の結婚が認められず、彼はポール・ジョブズ夫妻へ養子に出されました。当時はおとなしく、内向的な性格のオタクだったと言われています。
1971年、高校生になったとき、ヒューレット・パッカード社の夏季インターンシップに参加し、そこで、生涯の相棒であり、アップル社の共同設立者となるスティーブ・ウォズニアック(ウォズ)と出会い、意気投合します。
二人は「フリーキング」と呼ばれる、電話を無料でかける不正行為ができる装置を造り、当時ウォズニアックの通っていた大学の寮でそれを売りさばいていました。

画像_ジョブズとウォズ
(コメント)若き日のジョブズとウォズ
(出所)http://gigazine.net/news/20140120-steve-jobs-and-wozniak-truth/

大学中退と就職

その後、ジョブズは1972年にはオレゴン州のリード大学に進学したものの、半年で中退。しかし、中退後もリード大学の敷地内をふらつき、哲学やカリグラフィー(西洋・中東の文字を美しく見せる手法)の講義に潜り込み、自身が興味を持った授業を受けていました。
その後、インドまで旅をするための旅費を確保するため、1974年にビデオゲーム会社であるアタリ社に下級エンジニアとして働きます。そして旅費を工面し、念願かなってインドへ向かったものの、インドの現実に失望し帰国、1975年にアタリ社に復職することになりました。

アップルコンピュータの設立とMacintoshプロジェクト

1976年、ジョブズとウォズの二人は、個人用コンピュータ(パソコン)である「Apple Computer Ⅰ」を売り出すことにしました。ウォズが勤め先のヒューレット・パッカードで、彼が開発したパソコンの商品化を上司に提案したものの、却下されたため、二人はこのコンピュータを自分たちで販売することにしたのです。
1977年にはアップルコンピュータを法人化。同年にはさらに能力を向上させた「Apple Ⅱ」を発売し、1980年10万台だった販売台数は1984年には200万台を超え、莫大な利益を稼ぎ出しました。
その後、次世代コンピュータの開発に着手し、1984年には新しいコンピュータであるMacintoshをリリースします。

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(コメント)ウォズが制作した「Apple Ⅰ」
(出所)https://en.wikipedia.org/wiki/Apple_I

アップル退社と復帰

 1984年、Macintoshは当初の想定ほど売れず、大きな在庫を抱えたアップルは赤字を計上、人員削減を強いられることになります。社内の混乱もあり、ジョブズは1985年、アップル社を離れることになりました。
アップルを退社後、ジョブズはNeXT社を設立して新しいコンピュータの開発・製造に取り組み、1986年に映画監督ジョージ・ルーカス率いるルーカスフィルムのコンピュータ部門を買収し、社名をピクサーとし、後に「トイ・ストーリー」などのヒット作を世に送り出します。
1996年12月、アップル社はジョブズ率いるNeXT社を買収することで合意し、ジョブズはアップルに非常勤の役職ながらも復帰を果たし、2000年にはCEO(最高経営責任者)に就任しました。

アップルの躍進、死去

 ジョブズがアップル社のCEOになった同年、アップル社は音楽事業に参入し、メディアプレイヤー「iTunes」と携帯型音楽プレイヤー「iPod」をリリース。大ヒット商品となりました。2007年にはスマートフォン「iPhone」、2010年にはタブレット「iPad」をリリースし、こちらも世界中を席巻し、アップルは世界でも有数の大企業に成長しました。
 しかし、アップルが急成長を続ける最中の2011年8月、かねて患っていた癌が悪化したことで業務が不可能になったことでCEOを辞任。すでに手の施しようのない状態となっていたジョブズの病状はさらに悪化し、同年10月5日に転移した癌による呼吸停止で56歳の生涯を終えました。IT業界に大きなインパクトを与えた人物として、長年のライバルであり友人で会ったビル・ゲイツをはじめ、世界中の多くの人々がその死を惜しみました。

画像_ジョブズ追悼
(コメント)スティーブ・ジョブズの自宅があるパロアルトのアップルストアに向けられた花束やメッセージ
(出所)https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Jobs

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スティーブ・ジョブズのエピソード

過激な経営者

かなり厳しい経営者と言われるジョブズですが、数々のエピソードがあります。エレベータで初めて会ったアップルの社員に「君は、Appleのために何をしている?」と尋ねたところ、すぐに答えなかったことに立腹して解雇したり、ミスをした社員に対して凄まじい罵声を浴びせたりするなど、激しい性格の持ち主だったようです。部下を叱咤激励し、より高い目標に向かわせる優れた上司という評価がある反面、人によっては相当に嫌な人という評価もあり、かなり見方が分かれる経営者だと言えるでしょう。

年俸1ドルのCEO

 一度去ったアップルに復帰したジョブズは、CEOに就任してから報酬1ドルで当時不振であったアップルの立て直しに全力を尽くしました。彼はピクサーの収入があるとしてアップル社のために自分への給与を惜しみ、アップル社を世界的大企業に育てあげました。

マイクロソフト社との資本提携

ライバルとされていたビル・ゲイツとは若いころに親交があり、1980年代にはビル・ゲイツ率いるマイクロソフト社とアップル社は協力関係にあったほどでした。しかし、Windowsの登場によって、二人の関係に軋轢が生じ、しばらく疎遠な状況が続きました。
ジョブズがアップル社に復帰して間もない1997年、ライバルであったアップル社に対し、マイクロソフト社が資本提供と技術提携を行い、アップル社の立て直しに貢献しました。また、ビル・ゲイツとは長年のライバルでありながらも、互いを尊敬し合う良い関係であったと言われています。

日本文化への関心

 ジョブズは若いころから仏教徒であり、禅の教えに関心を持っていました。また、日本文化に強い関心も持っており、よく京都を訪れていたそうです。また、プレゼンの際によくみられ、トレードマークである黒のタートルネックは、日本のデザイナー三宅一生氏のデザインしたもので、ユニフォームとして着続けました。

スティーブ・ジョブズの名言ベスト7選

スティーブ・ジョブズの名言を見ていきましょう。

〔名言その1〕
「Stay hungry. Stay foolish.」
(コメント)
「自分の信念に従い、信じた道をまっすぐに突き進め」という、エールとして大学の卒業スピーチで語った有名な言葉(解釈には諸説あり)

〔名言その2〕

「この地上で過ごせる時間には限りがあります。本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、2つか3つくらいしかないのです。」
(コメント)
人生で自分が本当に情熱を持って取り組める時間には限りがあるだけに、時間の貴重さを教えてくれる言葉です。

〔名言その3〕
「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか?それとも、世界を変えるチャンスが欲しいか?」
(コメント)
当時ペプシコーラにいたジョン・スカリーをアップル社に引き抜く際に使った口説き文句。スカリーはマーケティングに優れた人物とされ、ジョブズは熱烈なラブコールでスカリーをアップル社に迎え入れます。

〔名言その4〕
「アップル社をクビになったことは、人生で起こった最高の出来事でした。成功の重さは、再び初心者になったことで軽くなりました。自由になり、人生で一番クリエイティブな時期を過ごすことができたのです。」
(コメント)
アップル社を離れた時を振り返った時の言葉。身軽になったことで反対にやりたいことに取り組むことができるようになったというポジティブな姿勢がうかがい知れます。

〔名言その5〕

「他者の意見に耳を傾け過ぎて、自分の心の声がかき消されてはいけません。最も大事なのは、自分の心と直観に従う勇気を持つことです。あなたは、すでにどうなりたいかを直感的に知っているのですから。それ以外の全ては重要ではないのです。」
(コメント)
自分がどんな人生を生きたいかは、他社ではなく自分に聞いてみるのがよいという教え。彼はそれを愚直に実行し、充実した人生を送りました。

〔名言その6〕

「テクノロジーは重要ではありません。大事なのは、人は賢いということ、そして人を信じることです。人に道具を与えれば、それを使って素晴らしいことをするでしょう。」
(コメント)
テクノロジーが全てではなく、あくまでもそれを使う人間が大事であるという彼の主張。彼は数々の革新的な商品を世に送り出しましたが、人間の可能性に注目していたのかもしれません。

〔名言その7〕
「皆いずれ死ぬというのを思い出すのは、失うものなど何もないということを気づかせてくれる最善の方法です。」
(コメント)
限りがある人生だからこそ、恐れずに挑戦することを彼は説いています。彼の人生はまさに挑戦の連続だったのでしょう。

画像_iPhone4を発表するジョブズ
(出所)https://www.amazon.co.jp/STEVE-JOBS-WALTER-ISAACSON/dp/1451648537

スティーブ・ジョブズについての個人的見解

 養子に出されたことから始まって、インドを旅したり、自分が設立した会社を追われ、また復帰するなど、波乱万丈の人生を生きたスティーブ・ジョブズ。彼は、彼の経営術やプレゼンテーションといった、ビジネスマンが参考にするような技術的内容に留まらず、彼の人生や言葉そのものが、多くの人々に多大な影響を与えたのかもしれません。
 
彼は、支配欲がかなり強かったとも伝えられており、よく部下を叱責したり、罵声を浴びせたりするなど、なかなか理解しがたい行動・言動が見られたことから、悪い評価があることも事実であり、そういったエピソードも彼自身が自分の人生に真剣に向き合い、やりたいことをやるという信念に基づいたものだったのかもしれません。こういったエピソードは彼の短所を説明するものとして伝えられていますが、事実、不振であったアップルを立て直し、最終的には世界有数の大企業にまで成長させるだけの才能に恵まれていました。

伝えられる彼の奇行や激しい気性といったものは、なかなか参考にできる部分は少ないかもしれませんが、彼が遺した時間の貴重さや、仕事に対する考え方、本当に熱中できるものとの出会いの大切さにまつわる数々の名言は、彼が亡くなったことでより大きな影響力を持ったと言えます。彼が経営者としてどのようにアップルを世界有数の大企業に成長させたか、また、どのようなプレゼンテーションをしたかを学ぶことも有益ですが、彼が人生において限られた時間をどう使ったかを振り返ることで、私たちも自分の人生を振り返り、また、どう生きていくかを考える上で大きな参考になると思われます。

画像_Apple_Garage
(コメント)アップル社創業の地とされるジョブズの実家(カリフォルニア州ロスアルトス)
(出所)https://en.wikipedia.org/wiki/Steve_Jobs